買いたての推理小説を膝の上でペラペラめくり、イギリスは小さく欠伸をこぼす。自身の体内時計から一時間ほど進んだ時計は、午後三時半過ぎを指している。ちらりとうかがったキッチンは、今は驚くほど静かで、時々紙のこすれるような音がかすかに響くだけになっている。空気に残る甘い匂いに首をかしげて、イギリスは小説をソファの上に放り出した。
フランスが「楽しみにしててね」とウィンク付きでキッチンにこもってから、四十分以上が過ぎた。そして三十分ほど前には、リビングにまでとろけるようなクリームやバターの甘い香りが漂ってきていたはずだ。なのにそれから時計の長針が半周しても、一向に音沙汰ないというのはどういうことなのか。
そろそろ出来上がってもいいはずだろ、これ以上伸びるとお茶の時間に間に合わなくなるじゃねぇか。ひそかにそう焦り、イギリスはキッチンをうかがう。かさかさとか、しゃきんしゃきんとか、明らかに料理を作っているとは思えない音しか聞こえなくて、イギリスは小さく舌打ちした。癪なことではあるが、イギリスはあの男の料理にすっかり絆されてしまっている。これではまるで焦らされているみたいで、ひどく不愉快だ。
本当に出し惜しみしていたらどうしてやろうか、と思ったあたりで、不意にキッチンががたごとと騒がしくなる。なんだろう、とそっと聞き耳を立てた瞬間、何かを叩きつけるような音が家じゅうに響き渡った。
「お?」
がんっ!がんっ!と、何か固いものを固いものにぶつけているような、変な音だ。それがなぜキッチンから聞こえるのか、イギリスにはさっぱりわからない。が、ひどく気になって仕方ないので、イギリスはとりあえずソファから腰を上げ、首をかしげてキッチンの方へ足を進めた。
キッチンに一歩足を踏み入れると、先ほどのあの甘い香りの残りがふわりと漂ってきた。やっぱりバターと生クリーム、それから上等な砂糖やミルクの香りがする。そしてフランスはと言えば、まな板を前にして、なぜか必死の表情で包丁を握っていた。
「あ、イギリス。ごめん、もうちょっと待って」
「……いや、お前何やってるんだ、それ」
「見て分かんない?キャンディ切ってるんだよ」
空のバットの横で、薄茶の固まりにフランスは包丁を突き立てていた。全体重をかける勢いで固まりに包丁をめり込ませ、勢いをつけて一気に沈める。すると、がんっ!という包丁とまな板の衝突音と同時に、薄茶のキャンディが細く切れた。それを横にして、一定の大きさにするためにさらに切っていく。がんっ!がんっ!と一定のリズムで、キャンディが切られる音がキッチン中にこだました。
「ちょっと包みの方に夢中になってたら、固まりすぎちゃって。イギリスもやってみる?結構力いるよ、これ」
がんっ!とひときわ大きい音が響く。キッチンテーブルの上には、白地にパステルカラーの水玉やストライプ模様が入った小さな紙が積み上げられていた。どうやらさっきのかさかさしゃきん、は包み紙を作っていた音らしい。
イギリスはしばらくイエスもノーも言わず、フランスの手元でつやつや輝くキャンディを見つめていた。大きめのバットいっぱいに作られたであろうそれを切り分けながら、フランスは時々手の痺れに顔をしかめているようだった。
「……ちょっと貸せ。要は切ればいいんだろ」
「ありがと。でもイギリスの細腕でなんとかなるかねー?」
額の汗を拭って、余計なひと言を言ったフランスの唇がによりと笑った。汗だくのくせに何言ってんだ、と同じように唇を引き上げて笑ってみせると、フランスの隣に身を滑り込ませる。そのまま預けられた包丁を手に取ると、おもむろにフランスのまねをして、イギリスもキャンディに包丁を入れてみた。
「よっ、……あれ?」
「ほらねー」
困ったようにフランスが笑う。固まりかけたキャンディの中にねっとりと沈んでいった包丁は、底に到達する前に完全に止まってしまった。そのままぐぐっと力を腕に籠めても、ちっとも奥へ進まない。力任せにぐいぐい包丁を動かそうとするが、そもそも包丁自体が中途半端な固さのキャンディに絡めとられて、引くことさえできなくなった。
「こ、んの!」
フランスがやったように勢いをつけて包丁に体重を乗せる。が、ひときわ固まっているらしいそれは相変わらず刃を通さない。フランスが、それもう一回溶かすしかないかも、と背後でうめくように言ったので、かえってイギリスはどうしてもこれを自分がどうにかしてやろうという気になった。さらに体重をかけるが、やっぱりキャンディは切れない。
「………………」
「え、ちょ、イギリス?ままま待って待ってそれはやめ、」
がっつん!とひときわ大きな音がキッチンに響く。キャンディを食いこませた包丁を頭の上まで持ち上げたイギリスが、凄まじい勢いでそれをまな板に叩きつけた音だった。さすがに頭の上から包丁ごと落とされたキャンディは耐え切れず、ガラスの砕けるような音を立てて割れた。というか吹っ飛んだ。真っ二つになった片方が、すぽーんとオーブンの方へ飛び、棚に当たって跳ね上がった。そして片割れは真横にすっ飛んで、鍋にぶち当たって落下していた。
「よし、切れたぞ」
「いやいや『切れたぞ』じゃなくて何その力技!お前は調理器具を労れよどこのアメリカだよ!」
なんでそこであの馬鹿力の名前が出るんだよ、とむっとしてにらみつけるが、フランスはキャンディと包丁とまな板をイギリスからひったくり、真ん中が少しへこんだまな板をひどく悲しそうな顔で凝視していた。
「……イギリス、お前料理をなんだと思ってるの。お前の家のまな板や包丁って、いつもこういう扱い?だったらお兄さん泣く」
「いや、扱いも何も、作ったマフィンが固くてどうしようもなかった時はいつもこうやって切って食ってるぞ?あとはローストビーフがフライパンから離れないときは、フライパンの底をこう、」
「ごめんやっぱ言わないで」
俺はつくづくお前の家の調理器具がかわいそうでならないよ、と深々とため息をついたフランスに、イギリスはそりゃ悪かったな、と言って足先を踏んでやった。自分の料理があんまりよろしくないのは一応知ってはいるつもりだけど、この男に言われると非常にむかつく。言い返し様がないのがまた悔しい。
ほら返して、とイギリスの手から包丁を奪い取って、フランスは再びキャンディを切り分ける作業を始めた。がんっ!がんっ!という音が、さっきよりずいぶん間を空けながら響く。その背中を見ながら、特にリビングに戻る気にもならなかったので、イギリスはテーブルの上の紙を適当に拾い上げて積み上げてみた。
フランスがたまに作りだめしているこのキャンディは、実はイギリスも結構気に入っている品だ。舌の上でじわじわと溶けていく控えめの甘みが好きで、大量にもらった時は仕事の合間に口に入れることも多い。他の国にも好評のようで、会議のたびに甘いもの好きの国家に配っているのもよく見かける。それを包む予定の鮮やかな色合いの紙を見ているだけで、口の中にあの柔らかなミルクの味が湧き上がってきた。
それを見計らったように、背後で包丁を使う音が止まった。キャンディそのもののような甘ったれた声で、フランスがふとイギリスを呼ぶ。
「おーい、イギリス」
振り向く、と同時に目の前にフランスの貌があった。青色の瞳がとろけるように微笑んで、すいとイギリスに近づく。その笑みに少しだけ見とれながら、イギリスは何でもない顔で手を動かした。
「んっ、」
ぺし、とイギリスの手の平にフランスの唇が当たる。口をふさがれた形になって、フランスの眉間にきゅうと皺が寄った。それににやりと笑んで、イギリスは一歩フランスから距離を置く。
「お見通しだ、バーカ」
「ちぇ、」
小さく口を開けて、フランスが不満げにイギリスを睨む。その唇の隙間で、見覚えのある薄茶の固まりがころりと動いた。
フランスは料理途中にイギリスがキッチンに来ると、たまに味見やつまみ食いをさせる。それもこういったお菓子の類のときは、大抵口うつしでよこしてこようとするのだから困ったものだと思う。もう何度不意打ちでキスをされて、キャンディやらマカロンやらを口の中に押し込まれたかわからないくらいに引っかかってきたのだ。いい加減、いちいち彼の行動で顔を真っ赤にする醜態をさらしてばかりいるのはおもしろくない。
「つか、これだけやられたら、もうとっくにそっちのパターンなんか読めてるんだよ。俺はお前みたいに頭錆びてねぇからな」
「お兄さんも錆びてないけどねー」
口の中であげそこなったキャンディをころころころがして、フランスはつまんない、と小さくつぶやいた。変に子どもじみた言い方に、イギリスは思わず笑ってしまう。
フランスは昔からこうやって、イギリスに仕掛ける悪戯が失敗するたびに、口をとがらせてつまんない、と言う。それが見られるのは、二人きりの遊びのような、本当にささやかな悪戯の時だけだ。それこそ1000年近く前も、こうやって眉をしかめた幼いフランスの顔を見たことがある気がする。
もぐもぐもぐ、とフランスの口が見せつけるように動く。あーあ、こんなにおいしいのになーとぶつぶつ言いながら、小さくなったキャンディをかみ砕いているらしい。子供そのものの様子に、どこが“お兄さん”なんだか、とまたおかしくなって、イギリスは指先でテーブルの上に散らばった紙をもてあそんだ。がりん、と最後の一砕きをしたらしいフランスが、無言でイギリスの横にやってくる。
「……ん、待て。今日のはこれだけか?」
「なによ、キャンディだけじゃ不満?たまにはいいじゃん、お前これ大好きでしょ」
「だ、誰が――」
ばっと振り返ってフランスを睨みつけた瞬間、その唇がイギリスに押し付けられた。びくんっ、と思わず背が跳ねる。ひどく間近の瞳がきらきらと子供のように輝いて、唇の間にするりと小さな塊が押し込まれたのがわかった。
「んーっ!んーっ!」
いつまでたっても離れないフランスの背中をべしべし叩く。フランスの方も意地になっているのか、イギリスの腰をがっしり掴んで唇を押し付けてくる。ますます輝きを増していく瞳に、イギリスの頭は次第にくらくらしてきた。何も考えられずに、本能的に舌を動かしてしまう。
「……ぷはっ!」
ようやくフランスが離れて、イギリスは大きく息をついた。口の中では間違いようもなく、例のキャンディが甘みをじわじわ広げている。それを確かめるように舌先で転がして、イギリスはフランスを睨みつける。頬が燃えるように熱くなっているのが、自分でもはっきりとわかった。
「隙あり、ってね」
「舌引きちぎんぞ馬鹿!」
「それはお前をいろんな意味で満足させてあげられなくなるからお断りー」
力任せに放ったパンチをひらりとよけて、フランスがにまにま笑う。そしてイギリスの背後にまわると、がっしりと抱きしめてきた。その足先を思いっきり踏んでやると、いてて、とさして痛そうでもなくフランスが呻く。そのまま首筋に唇を落とされて、背中にぴりぴりと電流が走った。
「……こ、の」
「いいじゃん。まな板のカタキと、お兄さんの心情治療費」
腰に腕をまわされて抱きしめられて、「それよりお味はどう?」と確信犯の笑みでフランスが笑うのが視界の端に見える。ころり、と口の中で転がるキャンディは、さっきまでフランスの口内にあったのだと思うと、いつも以上になんだかとろりと甘くとろけている気がして、味わうのさえ恥ずかしくなってくる。じんわりと熱くなった頬を撫で上げる指先を感じながら、イギリスは小さく息を吸って、相手にはっきり聞こえるように言葉を発した。
「……まずい」
「そう」
さして答えた風もなく、フランスは笑う。それよりイギリス、これ紙に包むの、一緒にやってくれない、そしたらおやつもう一品作っちゃう、とやさしく囁く声にはこたえた様子もなくて、イギリスは小さくため息をついた。いたずらな男は、こうして悪戯が成功した時はひどく子供じみて、悔しいことに変に可愛らしい。それに少しだけドキドキしてしまう自分は馬鹿だと思う。
それでも、口の中のキャンディを吐き出すこともかみ砕くこともできなくて、イギリスは甘ったるい恋人の腕の中で、せめてとびきり手間のかかる菓子を作らせてやろう、と思った。
- end -
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テーマ「甘い」と「意地悪」のフランス版(意地悪なのが)。
こういうべたべたなやりとりを何度も繰り返していちゃついてくれるのが理想です。
(2009/08/18〜2010/)